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生きてきた世界が違う。普段は身近な人に明かせない僕の本当の姿をつづっていくブログ。

異世界育ち
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イッペイ

  • Author:イッペイ
  • 健常者。弟に重度の障害者患者を持つ。
    弟は短命が宿命づけられ、
    僕はなすすべもなく見守りつつ、
    あらゆる制約を受けながらも
    常に前向きに生きてきたが社会により
    不当な扱いを受け、
    弟は虐待を受け精神錯乱状態に陥ってから
    弟は療養生活を余儀なくされたが
    約2年半後、常軌を逸した
    事件の後遺症が災いして他界。
    社会を生きていくにあたり何か壁にぶつかった時、
    弟の病気のせいにするのが嫌で
    家族にも親友にも誰にも洩らしたことのなかった
    僕の現在と過去を四半世紀経った今、
    自伝として書き綴ってみる。
    プロフィール詳細

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日記~2009特殊な人間と社会

2005/06/05 23:59|
先日、就職活動を再開させるべく、面接に行った。

二十代半ばまで、どうして就職をしようと思わなかったのかということを問われた。

僕がフリーターを続けていたのは、弟が筋ジスで介護に没頭しなくちゃいけなかったから「ではない」。

直接の原因は、企業という立場を利用して僕の家族ごと脅迫の対象とし、ただでさえ弟のことで平静を保つのがやっとだったところへ、家族を危険に晒すようなことを告げられて以来、極度の社会不信に陥った(このブログで言うところの「SCK事件」)からであるが、面接で社会不信を打ち明けて有利なはずはない。

無事に社会復帰するためにも、僕は家庭の事情として、弟の先天性・進行性の病気のことや、先日弟が他界したことをやむなく話した。



本当の理由が他にあることから、これは実際は言い訳に過ぎない。家族のせいにしているような気がしていたたまれないが、もはや今社会復帰しなくては年齢的にも限界が近かった。

本当はあまり触れて欲しくない話題だったが、避けて通ることは出来ないという覚悟を決して弟の介護に専念していたことを話したが、

中年の面接官が言い放った言葉は
「まー私ぐらいの年になると結構回りの人間はどんどん死んでるんだよ。外で働いた方が家族のためになるとは思わないのか?」
というものだった。

知った風なことを。
第三者が考える程度の浅はかな選択肢ぐらい、当然僕だって頭の中に入っていて、今更人に言われるようなことじゃない。他人からは想像もつかない多くの壁を乗り越えながら生きてきたわけで、年齢は若かれど身内の介護問題で僕に意見するなど100年早い、という気持ちだった。

僕は生まれながらにして弟の寿命を知りながら、全てをかなぐりすてる思いで弟のために尽くしながら生きてきた。

決して報われることの無い、ゴールの見えない介護生活。
人よりできることも限られ、生まれた時から短命が宿命づけられ、物も満足に噛んで飲み込むこともできず、長い年月をかけて筋肉は萎縮し、身体が病に蝕まれるのを黙って見ながらも楽しむべき時は笑いながら日々を過ごす生活がお前にわかるのか。

だがその長い年月を経験していない人間にとっては、他人の家族の病だとか死と言った話は二時間ドラマの中の話と大差が無いのだろう。

己の身にふりかかってからでないとその重さがわからない。それが健康にめぐまれて何不自由なく生きることができ、価値を具体化した「金」という目に見えるものでしか物事を考えられない人間なのかもしれない。

この面接官も「いずれは誰にでも訪れるもの」として死を割り切り、今この場で自分の死を選ぶことが出来るかという現実問題になればきっと話はガラリと変わる。そういうものだ。

先にも言ったが僕が職に就けずにいたのは弟が原因ではないのだが、弟に対して僕が死力を尽くして青春時代を生きてきたことは事実だ。

人から僕の人生と弟の死を侮辱されては、目の前のアイスコーヒーを面接官の頭からぶちまけてやりたい衝動にかられた。

しかし僕の人生はこんなことの繰り返しだった。
今までやってきたとおり、ここでぐっと感情を押し殺し、「事態が深刻だったもので・・・」と漏らしたところ、そこで返ってきた言葉は
「それにしたってさあ。・・・まあいいや。」
というものだった。

世の中には信じられないが本当にいるんだな。
金が人生の全てという価値観の人間が。
命や家族のありがたみというものを身近に感じながら生きてきた僕たちからは考えも及ばない人種だ。

もちろん面接官の言うことが間違っているわけではない。
そうすることで家のために尽くすという形もあるが、家族への尽くし方というのはその家族にしかわからないものがある。

そうするか否かは、どちらを選んでも本人にとっては「考えられる限りの最善の策」であって、第三者の考えが及ぶ程度の浅はかな発想で「当然こうすべきだろ」と軽い発想に僕は嫌気がさした。

極端な話、この人は両親が危篤になっても家に帰らせてくれなさそうだな、と思った。自分の常識が世界の常識になっている金の亡者の下で働く気にはなれない。

面接中は「これは入社の面接だ」という意識が第一に働き、感情を押し殺すことは難しいことではなかった。が、面接が終了しておもてに出た途端にメラメラと怒りが込み上げてきた。

しかし、特別な環境で生きてきた僕は、何かが起こったとき、それを昇華するなり合理化するなり、何らかの発想をすることで自分を抑えながら生きてきたため、ここでまたそのクセが出てしまう。

「今、こんなに腹立たしいのは、あんな形で弟を失って、僕が平静を失っているからかもしれない。僕が抱えた特別な状況を第三者に一言二言話した程度で理解してもらうこと自体、客観的に考えれば無理な話で、ここで僕が怒るのは筋違いなのかもしれない」

と冷静に分析する自分。

反面、
「事情を全て理解してほしいわけでも同情が欲しいわけでもない。そんなものはいらないが、あそこで弟の死を軽んじる発言をしてみせるのはどう考えても心無い無思慮な行為だ」

という本音が渦巻くが、またその感情を押し殺そうとする自分がいる。

怒りのままに全てを開放したいが、物心つくまえから多くのことを耐え抜いてきたためか、感情を抑制することに慣れすぎてしまった。

もはや「正しい」ということの定義がわからない。
ここで怒っていいのか。それとも特殊な状況におかれた僕が怒ること自体、他者に理解されることは無理だからすべきではないのか。

今回の面接で非常に落ち込んだのは、今回の面接でひどいことを言われた、ということよりも、僕が特殊な状況下にあるがゆえに僕は世の中の常識が通用する外側の世界の人間で、どこに行っても他者にとっては「些細なこと」「当然のこと」に対し、僕は「悪意の無い攻撃」として受け止めざるを得ず、敏感に心を痛め続けなくちゃいけないのかもしれない、ということを痛感したことにある。

今回の出来事そのものより、今後に対する不安要素が自分の中で大きな幅を占めている。

▼コメントリスト(2)
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コメント
私も似たような経験がありましたよ。
弟の短大進学に伴って、私が仕事を辞めて一緒に通っていた時期がありますが、その後の就職活動で、無職の期間はなにをしていたか何度も聞かれましたが・・・。
実際本当のことを話していても、通じてなくて、「もっと自分を表現したらどうですか?
」とか全然解らない答えが返ってきました。
結局は、父のいる会社や知り合いから紹介された会社、ほとんど面接をしないでいいところでの就職でした。

介護のことはいいわけになるのかもしれないけど、でもどうして?と聞かれたら「家族を助けていました」って言うしかない状態をほかにどう説明していいか解らないです。同情を買うためでなくて事実を述べてるだけなんですがね。
でも・・・。世の中っていろんな人がいるのも事実ですしね。
わからない人には一生わからない!!
と、わかっていてもむかむかしますよね。

遊びほうけてたわけでもないのに、仕事する前は、こんなことしてたんだーっという風にはとれないのか?とは思いますが・・・。
このおじさん(面接官)は、お金を貰うだけが仕事じゃないって分からない人なんですね。
ふざけるなーと言うのが私の感想です。

いい仕事見つかるように祈ってます。


ちーこ |2005/06/07(火) 09:39 [ 編集 ]
>お金を貰うだけが仕事じゃない

名言。
まぁ僕は介護が仕事だとは思っていなかったですが、世間で言うところの一般的な仕事のほかにも人は歩む道があることが理解されないというおおまかな意味は全く同じなので同感です。

>「もっと自分を表現したらどうですか?」

自分が表現できていないというのはあながち間違った意見ではないと思うんですけどね。

僕に至っても恋多き年頃でも僕は結婚をあきらめる覚悟が出来ていたし、気がつけば弟のことばかりで僕は自分の人生なんて考えたことがなかったために(というよりも弟の人生こそが僕の人生だった)、確かに自分を表現することが出来ない人間になっていたのは事実ではある気がします。

ただ、それ以上に大切なものが僕たちにはあったということが理解できていない以上、他者にこんなことを言われる筋合いはないですよね。

だけど幼い頃から特別な環境に育った人間というのは、その環境が人間性に大きく影響を与えるのは言い訳でも責任転嫁でもなく「事実」。

自分の将来や友達との約束よりも優先すべきものが僕たちににはあって、僕にとっては、他の人が出来る当然のことが出来ないためにストレスの海におぼれている弟が、それでも1日を楽しく過ごし、笑ってくれること以上に大切なことはなかった。

メイクドラマならともかく現実的に全てをかなぐり捨てる覚悟というのは本人以外には到底考えが及ばないことであるのに当然のごとく批判されると、「お前が僕と同じ環境で生活してみろ」というような醜い感情すら湧いてきてしまいます。

弟がいたことで僕は多くの誇りを持っていたはずなのに、傷つけられること以上にそういうことで相手を憎まずにはいられなくなることの方が僕には苦痛でした。

障害のことを広く意識してもらおうとすればするほど所詮理解を得ることが出来ないということを痛感することがあまりにも多いため、声をあげる人もなかなか出てこないような気がします。

>同情を買うためでなくて事実を述べてるだけなんですがね。

ちーこさんもおっしゃっている通り、
「どうして」と聞かれたらそう答えるしか無い場合、それは問いに対する答えでしかないわけですよね。
「こんな事情だから僕はかわいそうなの。だから雇って!」
とか言ってるわけじゃない。

特別同情なんかしてくれなくても、評価してくれなくても単に問いに対して答えただけだから、
「ふーん、そーいうわけね」
と、それだけでいいのに、知りもしない家庭の事情に関して他者が安易に踏み込んで批判するのは神経を逆撫でする以外の何でもないと僕も思います。
イッペイ |2005/06/09(木) 20:50 [ 編集 ]
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