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生きてきた世界が違う。普段は身近な人に明かせない僕の本当の姿をつづっていくブログ。

異世界育ち
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イッペイ

  • Author:イッペイ
  • 健常者。弟に重度の障害者患者を持つ。
    弟は短命が宿命づけられ、
    僕はなすすべもなく見守りつつ、
    あらゆる制約を受けながらも
    常に前向きに生きてきたが社会により
    不当な扱いを受け、
    弟は虐待を受け精神錯乱状態に陥ってから
    弟は療養生活を余儀なくされたが
    約2年半後、常軌を逸した
    事件の後遺症が災いして他界。
    社会を生きていくにあたり何か壁にぶつかった時、
    弟の病気のせいにするのが嫌で
    家族にも親友にも誰にも洩らしたことのなかった
    僕の現在と過去を四半世紀経った今、
    自伝として書き綴ってみる。
    プロフィール詳細

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日記~2009回復することすら耐えなくちゃいけないこと。

2005/09/06 03:37|
事件によって僕たち家族が追った傷はきっと一生癒えることはない。

決して時間の経過だけが全てを解決してはくれないが、人は生きるために多くの記憶が薄れ、一定の感情を継続できないようになっている。

さすがに二年前よりは僕の心も少しは安定してきているが、やはり僕がもとめるのは自分の心の安息ではなく、加害者が償ってくれることだ。

そのためにはあのときの苦しみがいつまで続いてもかまわない。

だけど、ふとしたとき、友人と話をしていて笑っている自分に気がついたりすると、なんとも複雑な気持ちになる。

あんなにも、身を引きちぎられるほどの思いをさせられて、この先一生僕は立ち直ることなどできるはずがないと思っていたのに、時間の経過と共に少しずつ心が安定していく自分が、(決して事件のことを忘れたわけではないが)まるで過去のこととして忘れ去ろうしているようで、心が安息に向かうたびに僕の心は大きく揺れる。

いや。違うな。確かに当時はとても立ち直れるとは思っていなかったけど、僕は今までどんな苦境も乗り越えてきた経験から、きっと自分が立ち直る日が来てしまうことを薄々感じていたんだ。

思うに、自分で言いたくはないが僕は幼い頃から弟のことで多くのことを考え、自分の無力さを痛感しながらも毎日笑って生きてきた。
そういう絶望することに対する免疫が出来すぎているんじゃないか。

だからこそ、僕はまだ事件のことが記憶に新しく、憎悪に身を焦がしている間に、心が平静を取り戻す前に、その憎しみを加害者にぶつけ、法のもとに裁いて欲しかったんだ。

きっと僕が立ち直ってから裁いてもらおうとするなら、あきらめや妥協の気持ちが生まれてしまいそうで、それが怖かった。
どんなことがあっても静かに平穏な日常を望んできた僕の性質がそういうものだったからだ。

実際、苦悩の日々は相変わらずでも、僕の気力は回復の兆しを見せている。


しかし僕のような環境に育った人間ではなく、ごく一般的な日々を遅れていた人が兄弟をこんな形で失ったら、それこそ正気を保っていられないんじゃないかと思えてくる。

だが僕はそうではないゆえに、正常に他の人間と話が出来てしまう自分に、返って憤りを感じるんだ。
耐えることが出来てしまうこと、これは、耐え切れずに倒れることよりもはるかにつらいということは傍目にはわかりにくい。

弟のことでどんなことも何度でも乗り越えてきた家族の特別な歴史が、僕の心を折れさせてくれない。倒れることを知らないボクサーのように、ただ打ちのめされていくだけだ。

倒れてラクになりたいと何度思ったか知れないけど、きっと僕はゴングが鳴り響くまで、気を失っても立ちつづけるのかもしれない。

このことは僕一人の思いあがりとは思えない。
このブログを開設してから、何人かの人からメールをいただくようになった。

誰が一番つらいだとか比較することこそ意味が無いが、やはりそれぞれが想像を絶する苦境に晒されながら生きていて、それでも何度でも立ち上がっている姿を目の当たりにした。

多くの人が筆舌に尽くしがたい気持ちを抱きながら生きているのだが、そういう人は元々厳しい環境におかれた人間が多く、それゆえに耐えることができてしまっているんじゃないだろうか。

テレビのニュースなどで目にする、当たり前に幸せの日々を送ることができていた人が突然の不幸に見舞われたりすると、狂ったようになっている人もいたのを僕は見たことがある。

僕もあんな風になれたらラクだろうな、と思ったが、今までの歴史がそれを許してくれないんだ。皮肉というか何というか・・・。

だけどくれぐれも強調しておきたいのが、そういう特別な事情を抱えながら生きている人たちは僕も含め、特別強い人間というわけじゃないんだ。

演出されたドキュメントやドラマなどで言うところの感動なんてものは生まれない。

並みの人間が受けたら即死するほどの衝撃を受けても僕たち特別な事情を抱えながら生きてきた人間が立っていられるのは、感じる痛みが少なかったり心や体が丈夫だったりするわけじゃなく、ただ、耐えるしか道が無いということを知っている、という、ただそれだけのことなんだ。他は何も変わらない。

もちろん、先に記したようにテレビで見た、突然の不幸に見舞われて狂ったようになってしまった人も特別弱い人間というわけじゃない。
それが当たり前で、気持ちは痛いほどわかる。

先にも書いたが、倒れたり狂ってしまうことができたらどんなにラクかと思うことがある。
だけど、特殊な環境から僕は自分のことより周りのことを先に考える習性が染み込んでしまっている。

周りに迷惑をかけることや、心配をかけたり心を痛めさせるようなことだけはどうしてもしたくないという思いが僕を正気を保たせている。そしてその気力の持続が、僕の心の安定の回復を促してしまっているんだろう。

事件のことを忘れたくない。
忘れてたまるかという思いも強いが、しかしこれからは自分のために生きなくてはいけない。

それが今、何よりもつらいことだろうか。

こういうとき、一番聞きたくないのが第三者の意見だ。

もう少し精神が落ち着けば別だが少なくとも今の段階では僕も完全にまともだとはいいがたい。他者の言葉はきっと僕の心には届かないが、

前に進むことが、僕が楽しく人生を送ることが弟の供養にもなるだとか、いう美しい言葉を人は並べたがる。

そんなキレイごとはいらない。
そんなことは当事者じゃないから言えることなんだ。

弟のためではなく、僕がどうしたいかだ。
加害者につぐなってもらったところで僕の気が済むものでもないと人は言うのかもしれないが、そのわりには一見美しい言葉で慰めようとしたり激励したりする。

確かにつぐなってもらったところで僕の気が済むはずはないが、第三者が気休めとして投げかけてくるあまりにも無力な言葉よりは、僕が前向きな気持ちを持つにははるかに気休め程度の役割にはなるというものだ。

ただ立ち直るだけではない。
やはり償いをしてもらうことができて初めて、僕の本当の人生が始まると思わずにはいられない。
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