生きてきた世界が違う。普段は身近な人に明かせない僕の本当の姿をつづっていくブログ。

異世界育ち
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イッペイ

  • Author:イッペイ
  • 健常者。弟に重度の障害者患者を持つ。
    弟は短命が宿命づけられ、
    僕はなすすべもなく見守りつつ、
    あらゆる制約を受けながらも
    常に前向きに生きてきたが社会により
    不当な扱いを受け、
    弟は虐待を受け精神錯乱状態に陥ってから
    弟は療養生活を余儀なくされたが
    約2年半後、常軌を逸した
    事件の後遺症が災いして他界。
    社会を生きていくにあたり何か壁にぶつかった時、
    弟の病気のせいにするのが嫌で
    家族にも親友にも誰にも洩らしたことのなかった
    僕の現在と過去を四半世紀経った今、
    自伝として書き綴ってみる。
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雑記命がだめなら人生を充実させるのみ。

2005/11/12 00:48|
人間というのは誰しも色々な悩みを抱えていて、その人にしかわからない悲しみを経験したりして、それを乗り越えながら生きる。

人は皆いずれ死ぬし、家族を失うというのも誰もが経験することだ。

人の命という物に対して言い方が不適切かもしれないが、そういう意味では人の死なんてものは当たり前のことで何もおかしいことでも特別なことでもないんじゃないかと僕は思う。

当たり前。そう、それが当たり前のことなんだ。

今、こうしている間にも無数の命がその終焉を迎えている。

人は何のために生まれたかとか何のために生きているのかとか、そんなことは考えても誰にも解決することはできない。

だが、人の命というのは限られているからこそ、皆必死で生きるんじゃないかと思う。

いずれ迎える死に向かって、その経過を何よりも大事にしながら生きるからこそ、命は大切であり、終焉を迎えるべき日が来る前に途絶えさせてはいけないんじゃないだろうか。

そう、人にとって最大の悲しみであるはずの「死」をも僕らは覚悟し、克服する思いで生きていたのであり、その僕らが悲痛さを訴えるということはそれは死以上のものであることを強調したい。


この世で何が最も不幸なのかを考えたとき、僕はひとつの答えに行き着く。

死そのものが不幸か。違う。

究極の不幸、それは、その人に与えられた人生が人為的な危害によって死に追いやられ、あるいは死に匹敵するほどの苦痛を与えられることで、仮に命は落とさずとも、本来送れるはずだった人生が送れなくなってしまうことだ。

先天的に重い障害を持ち、短命を宿命づけられても、それがその人に与えられた人生で、その与えられた人生の中で精一杯生きるというのは健常者も障害者も同じだ。

誰もが迎える死が訪れるまでにどんな人生を送ることが出来るか、それが人の生き方の全てだとは思わないか。

それは違う、という意見もあるかもしれない。
だけど短命が宿命づけられた弟を見ながら育ってきた僕は、そう思うしかなかったんだ。

死ぬのが早いか遅いかを基準においたら弟は不幸だということになる。
そんなことを認めるわけにはいかないし、ならばその限られた人生の中でどんな日々を送らせてやれるか。

それに全てを投じるしかなかった。

せめてそれを満たしてやることが、弟にとっての最大の幸せだったんだ。命がだめなら、人生を幸せなものにしてやる。その一心で生きてきた。

それが、心無い人間の虐待に遭い、2年もの間、錯乱に近い後遺症と薬の副作用に苦しみながら死んでいった。

短命が宿命であるなら、せめて充実した人生をと、共に生きてきたのにそれすら叶わないのなら、それこそ、弟は何のために生まれてきたのかわからない。

生まれてきた理由など考えても仕方ないとは言ったものの、こんな結末では、問わざるを得なくなる。

世の中には僕が経験もしたこともない、想像もしえない苦しみというのはまだ数多く存在するかもしれない。

しかし、命の終焉を受け入れる覚悟をしてまで成し遂げようとしていた日常を破壊されるというのは僕たちにはまさに究極の不幸でこれ以上のものは思いつかない。

まさに死すらも上回る悲痛の事件なんだ。

身内を失えば誰もが、自分が最大の不幸を味わっているような思いになるのだろうが、これはただの肉親愛で弟を哀れむがあまりの誇張ではない。

不謹慎なたとえだが、並みの事件や事故で命を落とすなら、その苦しみは比較的短い。
だが弟は人生の全てを否定され、2年もの間、死に匹敵する苦しみを味わい続けた。しかも宿命づけられた短命の人生すらまっとうできなかった。

そして加害者を法的に裁くことすら難しいとされている。

どんな不幸な事件や事故よりも、最も深い悲しみと憤りを伴うものである、と言ったところでこれを理解できる人はいるだろうか。
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